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ビンタはダメなの?七五三に学ぶ


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世界的なジャズトランペット奏者の日野皓正さん(74)が先月20日のコンサート中、中学生に往復ビンタした件。「体罰だ」やら「暴力だ」やら批判的な意見が多く取り上げられているようで。

私の青春時代の憧れのジャズトランペット奏者なので気になって真相を確かめてみると、誠にアッパレ。

大手の反日新聞社は薄っぺらな正義感をふりかざし結果だけを書いているが、デイリースポーツがより詳細に伝えていました。
デイリースポーツ記事。日野皓正、中学生へのビンタは教育…「必要な時もある」

・・・途中から・・・

 日野氏は、当該の中学生と「1年前から、深い関わりがあった」と、特別な間柄であったことを説明。当日は、ドラムソロを他の生徒と順番に行うはずが、その生徒が静止を振り切って続けたため、「『他にも待ってるだろ?』と言ってもやめないから、『バカヤロー!やめろ!』と」と手を上げたと話した。

 生徒は反省し、終演後は日野氏の楽屋まで謝罪に来たという。日野氏は「俺とあいつは、父親と息子なわけ。他の生徒には絶対に手を上げない」とした上で、「ヤツの心を立て直してやらなきゃという思いがある。だから、これからもやるよ。ビンタもね、アントニオ猪木の方が数段痛いと思うよ」と、愛情を持った教育の一環であることを強調した。

 さらに「音楽や集団行動っていうのは、和を考えないと。周囲をリスペクトしないと」と持論を展開。結果として、ビンタをしてしまったことについては「行き過ぎたところは分かる。それは謝る」としつつ、「でも、必要な時もあるんだよ。それだけのこと」と一貫して主張は変わらなかった。

 観客の前でビンタしたことで、騒動が大きくなった点には「お客さんの前だろうがどこだろうが、俺はバカヤローと言う。真剣だから。見てる人は分からないから、日野さんひどい、子供がかわいそう、と言うかもしれないけど」と受け流した。今後、生徒がまた同じことをした場合を問われると「手は上げないで、『やっぱりお前は無理だからやめよう』という。音楽は、ハーモニーで会話なんだ。会話ができないヤツは、どいてもらわないといけない」と回答した。

 また、集まった報道陣に対し「あんたたちがこういうことやって、日本の文化をダメにしてるんだよ。だから文化が低迷している」と苦言も展開。「あなたたちは俺をいじめてるけど、本当は彼(中学生)をいじめてるんだよ。俺はお前たちに何を言われようが、真剣に文化と生きてるわけだし、子供たちをどうにかして世界的にしようと思っていろんなことをしている。お前らが騒ぐほど、ヤツは忘れられずに何年も苦しむことになる。それをよく考えて」と語気を強めた。
日野皓正さんは、勇気のある昭和の良き時代の「優しいオヤジ」ではありませんか。ビンタは一般的には駄目だが今回のような場合はいいと思いますよ。この中学生は良い経験をしたね。

世界が認めるトランペッターに対し、日本国内ですら認められていない「大した芸人でない」太田光が「大した音楽家じゃないと」と言ってました。これじゃ、若者がテレビを見ないはずだ。

この騒動で、以前に書いた記事を思い出しましたので再投稿します。題は「七五三さんの意味の大切さ」。

ビンタはダメなの?七五三に学ぶ_e0353219_21355483.jpg


日本神道の「七五三」の儀式は非常に大切な意味を持っています。ですから、古来より、連綿と続いているのですね。
以下はネットで調べた一般的な、現代風の意味合いです。

(転載文)
三歳で言葉を理解するようになり、五歳で知恵づき、七歳で乳歯が生え代わるなど、発育してゆく上で病気にもなりやすく、様々な危険を伴う時期なので、健やかな成長を氏神様にお祈りをする。現代的に言えば、子供を思うご両親の愛情表現の行事という意味合いが強くなっています。

基本的な部分で、ちょっと違います。神社は祈願する場所ではありません。

次に明治神宮のホームページより、七五三の由来について。

(転載文)
三歳、五歳、七歳と成長の節目に近くの神社に参拝して、無事成長したことを感謝し、これからの将来の幸福と長寿をお祈りするのが七五三の行事。もともとは、宮中や公家の行事でしたが一般的にも広く行われるようになりました。現在よりも医学が発達していなかった昔は生命もはかなく、七歳までの子供は神の子とされ、七歳になって初めて社会の一員として認められたそうです。

神社参拝の基本は感謝です。太字の部分が大切なポイントです。そこの処を、もう少し詳しく。

誰から生まれても、子供は七歳になるまでは神の子であります。そして、その子を産んだ親は、神様の子の養育者でしかありません。

なので、子供が三歳になった時と五歳になった時に、近くの神社(神様)に育児の途中報告に詣でます。

しっかりと育児をして、りっぱに七歳になった時に、産んだ親は「子供の引き取り」の許可を得るために神社(神様)に詣でます。

以上が諸説ある中で、個人的にしっくりする七五三の意味合いです。

昭和の前期(私が神様の子供の頃)ぐらいまでは、このような意味合いを日本人の意識(価値観)に残っていたように思います。

当時は子供が目に余る悪さをすると、近所の大人は平気で、他人の子供を叱りつけていました(場合によっては拳骨も)。
今、そんな事になると事件です。「叱りつけられた子供の親」と「叱りつけた大人」が最悪、警察沙汰になる可能性もあります。
でも、当時は、「叱りつけられた子供の親」は「叱りつけた大人」に対して、お礼を言ったものです。
「わが子がご迷惑をかけ申し訳ありません。わが子を躾けていただいてありがとうございました」と。


要は、神様の子供なのだから、近所の大人達が皆で未熟な子供を躾けて、早く一人前の社会人に育てる。と言う考えです。

もし、現代の日本の社会に、このような考えがほんの少しでも残っていたら、馬鹿な親による子供の虐待死がかなり防げると思います。

なんたって、子供は親の所有物・・・と言う価値観ではないのですから、未然に馬鹿な親から、子供を保護する(社会が放置しない)風潮も生まれてくるような気がします。

このような風習(日本神道)を全否定したのが、戦後の日教組による個人主義教育です。道徳教育も反対する「子供の天敵、日教組」の罪は重いです。

本日の一曲

「Jo Stafford / September in the Rain 」です。


by monomoman | 2017-09-06 06:35 | 日々雑感