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カテゴリ:読書( 4 )

人間の生き方、ものの考え方(3)

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福田 恆存(つねあり)の「人間の生き方、ものの考え方」(2015年2月11日初版)からです。今回で三回目です。

毎年この時期、私の思う事やうんざりする事を福田 恆存がやんわりと言っています。

現代のタブー(p124)から抜粋。
・・・途中から・・・

さきほどの原稿を書く数日前ですが、広島の大学の新聞部からインタービューがあって、八月六日の原爆記念日について意見を聞きたい言ってきた。

それで私は、「馬鹿もいい加減にしろ」といったのです。原爆記念日などというのは負けの象徴であって日本人とっては不名誉なことなどだ。

あの当時日本でも原爆をつくろうとしていたが、日本人の知能あるいは経済力とかいったものがアメリカよりも劣っていて、要するにアメリカの方が先につくってしまった。それで原爆を落とされたといことは、日本にとって特権ではなくて屈辱なのであって、恥ずべきことはあんまり大げさにしないほうがよろしい。

ましてそれを記念日にすることはない。記念日にするのならひそかに自分の心の中で、「これからやっつけてやろう」ということで記念日にするならいいが、そうじゃなくて「広島から世界に平和を」というような思あがった気持ちは一体何か、原爆を落とされるような人間に原爆を止めさせる力がありますか、そんなことは決してありえないと私はその学生にいったのです。

・・・以下省略・・・

「原爆を落とされるような人間に原爆を止めさせる力がありますか、そんなことは決してありえない」

北朝鮮の我が国に対する態度や米国に対する態度が、その正しさを証明しています。

こんなことを言うと、特定野党や産経以外の主要新聞社・テレビ局全部・まやかしの平和団体などは発狂するでしょう。中共の子分みたいのようなものだから仕方ないです。
国家観のない自民党議員もうるさいでしょうね。

日本国民が冷静になって、ちょっとだけ考えれば済むことなんですけど・・・

それと、平和記念式典(原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)は止めにして、原爆死没者慰霊式だけにすればいいのです。

8月6日の広島平和記念式典と8月9日の長崎平和記念式典は、「原爆死没者の霊を慰める」ことが一番の目的なのに、毎年、両市長は個人的な政治思想の発信に利用します。戦没者の慰霊は二の次なのです。

要は、心のこもらない体裁だけの式典になって、慰霊する気持ちが上の空になってしまったわけで、何もかもお見通しのご先祖様は、さぞかし落胆していることでしょう。

きっと、今年もそうなるでしょうね。9月に自民党の総裁選挙があるから、いつも以上かな。

本日の一曲

日本人ヨーデル歌手の石井健雄さんです。「Takeo Ischi / Mei' Bibihenderl-1993」。


by monomoman | 2018-08-06 19:12 | 読書

人間の生き方、ものの考え方(2)

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前回からのつづきで、福田 恆存(つねあり)の「人間の生き方、ものの考え方」(2015年2月11日初版)からです。

教育と教養(p56)から抜粋。
・・・途中から・・・

 学校では本当の教育など行われていない、そこで行われているのは、教育の一分野である知識の伝達ということなのです。知識の伝達を今日では教育と言っているわけです。だから教育のある人間が教養のある人間に限らないと先程申しましたのは、知識のある人間は教養のある人間とは限らないということなのです。

 教養というのは根本は心遣いです。細かい心遣いです。あらゆる対象に接して、品物でもいいし、人間でもいいわけですが、そのときにいつでも相手の気持ちになってつき合う気持、それが私は一番根本になければならないと思います。

 今日ではつき合いと言えばいやいやながらという意味に、何か心ならずもという意味に使われるようになって来ております。それはもちろん正しい使い方ではないと思いますがつき合いというものの中には、自分を殺さなければならないという、つらい面があるのは事実です。
ところが今日の教育なり、思想なりの傾向は、そのように対象につき合うということはあまり重んじていないのです。だから男女同権の問題でも何でも、大てい問題になってくるのは、あいつの方がとくをしているということですね。「男の方がとくをしている」と女の人はいうわけです。「だから女にもとくをさせろ」ということになる。
そこには相手に仕えようという気持ちは全然ないのです。

・・・途中省略・・・

 御飯をたべる時、女が給仕して、男は給仕されるばかりだから男はとくじゃぁないの、と女の人は言うのです。「だけどどうして給仕するのが嬉しくないのかな」というふうに私は思うのです。人に仕えるという喜びを失うというか、それを大事にすることを忘れてしまっている。
もちろん男の方でも自分の女房に仕えているという気持ちが大切なことはいうまでもありませんが。ただその仕える場所や方法が違うだけです。ともかくお互いに仕えるという気持ちを持つこと、これが正しい生き方、教養のあり方だというように思うのです。

・・・以下省略・・・
昭和37年から昭和55年にかけて、学生たちに特別講義を行った、戦後思想家の第一人者である福田 恆存は「教養というのは根本は心遣いです」と言っています。私は、心遣いの根本は道徳心だと思っています。

振り返ってみると、あの時代は私の青春ど真ん中でしたので、よく記憶していますが、まだ道徳心の乱れが少ない時代でした。ですから、左翼全盛の時代においても「教養というのは根本は心遣いです」と問われた学生たちも、すんなりと受け入れられたのではないでしょうか。

あの時代は「ハイライトをふかしながら、捏造朝日を片手に、マルクス・レーニンを語る」のがカッコイイ時代(お花畑満開)だったのです。

しかし、今の時代はタバコを吸っていると「禁煙もできない意志薄弱者」と見られるし、捏造朝日をもっていると「そんなの読むとバカになる」と言われるし、マルクス・レーニンを語るは「お前さんはアホかいな」です。

あの時代から40年、お隣が「歴史認識ガ~」と騒いでくれているおかげで、お花畑で熟睡中の日本人が目を覚ましてきている感がします。

お話しが脱線しました。
要は、あの時代の大多数の学生も教員も、左翼病という流行り病にかかっていただけであり、ちゃんと道徳心は備わっていた。と思うのです。
一方、今の時代に生き残る日教組教員は「道徳教育と子供の躾けに反対」する方が多そうで、教養とは無縁の生き物。

小学生のスカートの中を投影する先生のニュースを頻繁に目にします。私は健康な男子ですので、女性(勿論、大人)のスカートの中を覘きたい気持ちは分からぬでもないが、小学生のスカートの中とは・・・あの世で、福田恆存は絶句か?

つづく。

本日の一曲

前回と同じBe My Babyです。歌うはJohn Lennon。


by monomoman | 2016-08-20 20:24 | 読書

人間の生き方、ものの考え方(1)

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福田 恆存(つねあり)の「人間の生き方、ものの考え方」(2015年2月11日初版)は、タイトルからして、私には分不相応かなと思いましたが、具体例を多用しており、面白くて一気読みでした。

思想家の書物は難しいのではないかと敬遠される方が多いと思うのですが、この本は「学生達への特別講義」を収めたもので、学生に分かり易く語りかけているものです。高校生にもお勧めできる一冊です。

読書するときは、共感する箇所や考えさせられる箇所などに付箋をつけるのですが、この本を読み終えると付箋だらけでした。

メモがてらに、数回にわたりその一部を紹介します。

尚、文芸批評家・浜崎洋介の書評(2015.3.22)はこちらです。
http://www.sankei.com/life/news/150322/lif1503220029-n1.html

経験としての歴史(p170)から抜粋。
・・・途中から・・・

個人も、過去というものを失ったら人格喪失者になると申しました。
それと同じように、国家も過去の歴史というものを否定するようになれば、その国家がなくなったということになる。だから、革命が起って全過去が否定されると、その国家は消滅して、別の国家がそこに生じたということになる。
そうなれば、その構成員である個人も大変です。今まで過去の日本の歴史に背負われて来たわれわれは、どうしていいのか分からなくなる。個人も存立できなくなってしまう。
そういうように国家と個人は密接につながって離すことができないものなのです。
過去を保持するということ、その一貫性、連続性というものによって、個人の場合には一つの人格を持ち得る。国家もそれを保持することによって、国柄、国体というものを保ち得るのです。
これを否定したらもうすべておしまいです。

諸君にしてみれば生まれる前の戦争ですが、あの戦争を境にして、この一貫性、連続性はかなり危なくなった。全く失われてはいないでしょうが、稀薄になってしまった。そこに生きて行くということは並大抵の努力ではありません。

われわれの場合は、まだ過去を保持していますし、経験として過去を背負っている。あるいは過去に背負われているからいいのですが、諸君の場合は何とか努力して、過去を経験しなければ駄目だと思います。

最後に補足的につけ加えておきます。
さっきから、歴史や言葉の問題を話してまいりましたが、皆さん誰しも間違えていることがあります。それは、歴史学ぶ、言葉学ぶ、自然学ぶという風に思っている。そういう考え方は間違っているので、われわれは歴史学ぶのです。

歴史がわれわれを教える。われわれは歴史から教わるのです。自然から教わるのです。言葉から教わるのです。
それは、さっきの知識と経験ということも関連してくるのですが、歴史を学ぶという場合には、知識として学ぶということになります。それは逆で、歴史が私たちに教えてくれるのです。
歴史から学ぶのであって、歴史を学ぶのではありません。こうして歴史から学ぶ、言葉からも学ぶという態度が大切だと思います。

・・・以下省略
私がこの本を購入した時の帯書きは、「絶望から脱出せよ」でした。2014年に第7期中教審において日本史を必修科目にしましたので、「絶望から脱出」できそうです。
【中教審答申】
「日本」語れる人材育て 高校日本史必修化…授業数確保に新科目も検討
http://www.sankei.com/life/news/141121/lif1411210004-n1.html
これまで高校の歴史の必修は世界史であり、日本史は選択科目にすぎなかったのですから大きな一歩です。自国の歴史を知らずして、世界の歴史を学んで何の意味があるのか?いくら英語を話せても、自国の歴史を語ることができなければ、国際人として失格です
例えば、語学が得意な国際政治学者(自称)の都知事は当てはまると思うのですが、どうでしょう。

英語よりも国語と日本史が大切であり、小学生は英語よりも躾と道徳教育が大切です。
例えば、英語を社内公用語化している楽天は、英語よりも会社全体で道徳教育が必要と思うのですが、どうでしょう。

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楽天は台湾で暴行して大暴れした隆大介を日本人と報道しました。隆大介は韓国人です。楽天は嘘をついてはいけません。
「嘘つきは泥棒の始まり」、最近では「嘘つきは韓国人の始まり」なんていわれているようです。ところで、この報道記事の担当は、どこの人?
http://hosyusokuhou.jp/archives/43314067.html

ここまでが、この本が出版された直後(2015.3)に投稿した記事です。

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本日は、関連する内容で良いブログ記事を見つけたので、以下を追加して再投稿です。

その前に都知事騒動の件で一言。

語学力がご自慢の舛添前都知事の狼狽ぶりを見ていて思ったことは、やっぱり小学生は英語教育よりも道徳教育です。

そして、都知事選の桜井誠さんの演説から感じたことは、福田恆存の懸念(以下)はネットのおかげで払拭できそうです。若者達はマスコミに騙されないということです。
「過去を保持するということ、その一貫性、連続性というものによって、個人の場合には一つの人格を持ち得る。国家もそれを保持することによって、国柄、国体というものを保ち得るのです。これを否定したらもうすべておしまいです。」
マイクロソフト日本法人の取締役を務めていた成毛眞(なるけ・まこと)氏が『日本人の9割に英語はいらない』という面白いタイトルの本について、伊勢雅臣氏の国際派日本人養成講座(ブログ)で簡潔にまとめています。
詳しくはブログ記事(「英語ができなければダメ」という強迫観念から、まず抜けだそう)をお読みになってください。

以下は、特に大切なところですので、そのまま転載します。
 ■8.国際派日本人にお勧めの英語勉強法 
 
弊誌で今まで英語教育を扱ってきた号ともあわせて、年代別の英語勉強法をまとめると、以下のようになる。

・小学校まで: 幼児に英語を教えるのは百害あって一利なしであるから、まずは国語をきちんと教えて、言語能力、論理的思考能力を鍛える[b]。英語塾に通わせるよりも、論語の素読や日本語の名文を暗唱する塾に入れて日本人としての背骨を鍛えるべきだ。[c]

・学生時代: 中学、高校では文法中心の英語をしっかり勉強する。英文法と知的に格闘することで、国語の力も磨かれる。大学に入って、将来、英語が必要な数%になる志があるなら、その文法力の上で、英米人の英語ではなく国際コミュニケーション用の英語(イングリック)を学ぶ[d]。

・社会人: 英語を勉強する暇があったら、自分の専門分野の勉強をするか、日本の古典や歴史を学ぶ。もし、本当に英語が必要な数%となったら、現地で泥縄の勉強をすれば良い。 これによって専門能力と日本人としての品格を持って、国際的な舞台でも流暢ではないが論理的な英語できちんと自己主張ができる国際派日本人になれるだろう。
(文責:伊勢雅臣)
最後に、19世紀後半にドイツ統一を主導し、初代ドイツ帝国首相を務めたオットー・フォン・ビスマルクの格言から。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

本日の一曲

「The Ronettes / BE MY BABY」です。



by monomoman | 2016-08-08 21:34 | 読書

感動の永遠の0(ゼロ)

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何年も前から気になっていた小説「永遠の0」(百田尚樹著)を読み始めたのですが、これが面白くて一気読みでした。
噂にたがわない素晴らしい小説で、私にとって「感動したぞ!小説」のベストワンに躍り出てしまいました。

既に、文庫本になり、12月には映画も公開されるので、これからも多くの人達に感動を与えていくことでしょう。

同じ著者の小説「海賊とよばれた男」も安倍総理が好意的に評価していましたし、本屋大賞も受賞しているので、次はこの本を読んでみるつもりです。

小説「永遠の0」に話を戻します。

この小説の舞台は大東亜戦争時の海上戦線です。その内容は「絶対に生きて帰る」と妻と交わした約束にこだわり続けたものの、最後は特攻をせざるをえなくなり、帰らぬ人となった凄腕のゼロ戦パイロットの愛の感動物語です。

恥ずかしながら読み始めて半分くらい来たところで、突然感極まって、声を出して(オイオイ)泣いてしまいました。(嗚咽と言うのかな)😂
前に居たヨメはビックリしたようです。そりゃそうです、いきなり泣いちゃうのですから。本人ですらビックリでした。本を読んでいて嗚咽したのは、生まれて初めての経験でした。
それからも、クライマックスの手前でまた嗚咽して、クライマックスでまたまた嗚咽してしまい、ほとほと疲れました。いゃ~、6年分の涙が流れた気分がしました。

6年前もそうでした。マリちゃん(一緒に暮らしていたニャンコ)が天国に帰ってしまった時も、このくらい泣いてしまいました。😹

何で、こんなに感動したのだろう?

この小説はフィクションですが、時代背景はかなりの割合でノンフィクションです。そして、このノンフィクション部が歴史書のように詳細に書かれていたから、真実の物語のような錯覚に陥ったのかもしれません。
それとも、ただ歳をとって涙もろくなっただけ、なのかもしれませんね?

興味深い話が盛りだくさんですが、特に若い時から気になっていた、次の二つの疑問に関する著者の推測に、深く考えさせられました。

南雲長官は真珠湾攻撃時に「何故、第三次攻撃隊を送らなかったのか」?
栗田艦隊はレイテ戦で「何故、謎の反転をしてしまったのか」?
(その内容は本をお読みになってのお楽しみです。)

それと、物語の中で、ある新聞社の「負の部分」を痛烈に批判しています。読んでいて気持ちがいいくらい明確で、気分がすっきりしました。
この反日新聞社は本当の事を書かれて、火病の如く頭に血が登ったのでしょうか、この小説を右翼的だと批判したそうです。300万部を超えた感動の傑作小説を、自社を批判されたぐらいで(本当のことなのに)本全体を批判するとは、誠にもって「ケツの穴の小さい新聞社」です。

この小説はコミック化もされているようです。私は読んだことがありませんが、おそらく子供達が読めば、自然と「大東亜戦争の事」「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」「他人を思いやる心の大切さ」などを学び、さらに「日本人としての誇り」も持てるようになるんではないかという気がします。

12月21日に映画が公開されるそうです。久しぶりに映画館まで行ってまで観たい気分になりました。も~今から年末が楽しみです。

でも、この感動は映画では再現するのは難しいような気がします。原作の小説には適わないと思うのです。
そこで、先に本を読まれる事をお勧めします。

忠告です。人前(電車の中とか)では読まない方がいいと思います。いきなり泣いちゃうとカッコ悪いですよ。気を付けましょう。

私はこの本を購入するにあたり、字の大きい単行本にしました。この大きさの本(14センチ×20センチ)にピッタリの[ブックスタンド]をmono momanで販売しています。こちらも、是非ご覧になって下さいませ。

本日の一曲

「フランクシナトラ/夜のストレンジャー」です。小説を読み終えた後に、ふっと思い出した曲です。

折角ですので、この歌の内容を私なりに短くまとめました。歌詞に含まれない言葉が多く入っています。直訳ではありません。あしからず。

♪君と視線を交わした、あの夜の出会いは、今でも夢のように思う
 君の微笑みに心ときめき、その瞳は僕を誘っているようだった
 夜の知らない淋しげな二人は、言葉を交わし、体を寄せ合い踊り明かす
 そして、熱く・・・・・💘
 あの夜から僕たちは一緒、永遠の恋に落ち、愛を誓う恋人同士になるなんて
 夜に包まれた見知らぬ二人の運命の出逢い 
♪そして、孤独から解き放された幸せは一瞬で訪れる。💞


by monomoman | 2013-10-19 14:30 | 読書 | Comments(0)