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ラグビーの思い出

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過去7大会のラグビーワールドカップで過去1勝(21敗2分)しかしていない日本が、今年のイングランド大会だけで3勝もしたのですから驚きです。

特に、過去2回優勝の南アフリカに勝利した試合は感動的でした。翌日の現地での第一声です。

「That's the biggest surprise in World Cup history.」
(W杯史上最大の驚きだ)

jbプレス記事によると、サッカーと違いラグビーには番狂わせは起こりにくいとの事。

例えば「サッカーで言えばJ2のチームがイングランド代表に勝つ」とか「野球では県大会ベスト4の高校生チームがソフトバンクホークスに勝つ」とか、普通ではあり得ないことが起こった試合が対南アフリカ戦だったようです。

賭け事では、南アに1000£かけて南アが勝った場合1001£にしかならなかったに対し、日本に1000£かけ日本が勝利した場合、最高で112000£(112倍)だったようで、当てた人もいるのでしょうね。

しかも、日本が予想を覆す終始積極的な試合運びを展開し、最後の2分で逆転勝ちを収めたものだからラグビーを楽しんでいる人達は大騒ぎになっていたようです。その雰囲気は以下のブログ記事を参考に。

ラグビーワールドカップ 南ア戦の夜 日本人が感じた、空気。

ラグビー日本代表のハイライト動画 Japan's Glorious RWC 2015 Memories


日本チームの活躍をネット動画で見て感じたことは、サッカーと違ってラグビーを愛する人達は勝ち負け以上に、スポーツ(試合内容)を楽しんでいるようでした。

そして、ラグビーを愛する人達からの日本チーム称賛の嵐に、即座に一抹の不安が脳内を刺激したのです。それは・・・

「ウリもラグビーを始め、日本に勝つニダ」

スポーツに限らず、何事においても内容よりも”勝ち負け”にこだわるあの人達には、直接体がぶつかり合うラグビーには興味をもってほしくないのです。怪我人続出です。

NewSphere(ニュースフィア)から。日本人のノーベル賞受賞、米韓報道に違い。「日本人」に主眼の韓国、研究内容の米国。

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今の子供達はサッカーに夢中になっているようですが、私の子供の頃は学園ドラマ”青春とはなんだ”の影響で、サッカーよりラグビーに人気がありました。でも、ラグビーのルールは簡単ではなかったからでしょうか?ブームにはならかったですね。

このテレビドラマは、1965年から1966年にかけて日本テレビ系で放送された夏木陽介と藤山陽子主演の青春学園ドラマです。この後に、竜雷太主演の”これが青春だ”が続きます。

私もその影響をいっぱいに受けて、小学生の頃は深川西高のグランドへラグビーの練習を見に行ったり、勝手にボール拾いをしたり。あの頃は楽しかった。

勿論、旭川高専に入学して、すぐにラグビー部に入部したのですが、訳があって退部しました。この退部は自分の人生で悔やまれる出来事の一つです。

ということで、今回のラグビー日本代表の活躍は、私の子供の頃から青春時代の事を思い出させていただきました。

本日は二曲です

貴様と俺 1966 青春とはなんだ 劇中応援歌


これが青春だ 布施明


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by monomoman | 2015-10-21 06:48 | ├ 子供の頃 | Comments(0)

懐かしの木造校舎

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栗山にも「コカ・コーラ・ボトラーズ」が買い取った木造校舎がありますが、北海道に限れば、美唄(写真)と増毛にある木造校舎がノスタルジックな香りのする、私の好きな木造校舎です。
尚、増毛にある木造校舎の写真はこちらから。

さかのぼる事50年前の子供の頃の私は、行く高校は既に「深川西高」と決めていました。その訳とは・・・。

小学校4年生だったと記憶しています。

その頃はピンポンに夢中になっていたのですが、やる場所がなかなか有りませんでした。
ある日のこと、深川西高の体育館に忍び込みました。すると、そこには有難い事に卓球台が置いてあり、ちゃんとヘラも球もありました。これ幸いとばかりに早速、友人とピンポンを始めたのです。

しばし、熱中してやっていると先生がやって来て、「ちょっと来い」と言うのです。無断で校内に入ったから、こっぴどく怒られると思って、ちょっとドキドキしてついて行くと何とそこに(職員室)出前のラーメン🍜があるではありませんか。

先生いわく、「伸びない内に、早く食べなさい」。

当時は外食なんて、ほとんどしません。ラーメンだって、大ごちそうです。
一杯のラーメンを友人と食いつきました。(何でか、箸が二膳ありました。わざわざ先生が用意して下さったのでしょう)おいしかったですね。

この先生とは、これ以降お会いしていませんが、その顔は今でも覚えています。
「食い物の恨みは恐ろしい」と言うけれど、私は「食い物の恩は決して忘れません」
これが、一つ目の訳です。

二つ目の訳は、
当時の深川西高は大木が校舎全体を囲むように覆っていて、クワガタ虫の採集場でもありました。子供心にも、自分はこの風景を気に入っていました。

ところが、数年前に、この「思い出」の校舎を訪れて唖然としました。
校舎はコンクリートになってしまい、凛としてそびえ立っていたあの高木の林は、ほとんど残っていませんでした。

あの木造校舎は、今では手に入らないような良質の木材を使い、腕のいい職人さん達が手掛けた、一級の木造建築物と聞いています。(当時、話題になっていたようです)

壊さなければいけなかったのか?保存できなかったのか?
あの高木を取っ払ってしまう理由があったのか?
実に残念に思います。

木工家だから「木造校舎を壊すな」と言っているのではありません。コンクリートだろうが、煉瓦だろうが、良いものを簡単に壊すなよ。そして、私の大切な「思い出」を奪うなよ、と声を大にして言いたいのです。

本日の一曲

気が高ぶってきたので、当時の思いでの歌でも聴くことにします。♪♪♪
しかし、中学卒業後は深川西高ではなく、旭川高専を選択しました。旭川高専の想いで話はたくさんあるので徐々に綴っていきます。


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by monomoman | 2015-07-18 05:26 | ├ 子供の頃 | Comments(0)