人気ブログランキング |

はがきサイズ用写真立て

e0353219_19103685.jpg

ポストカード用の写真立てが完成しました。

既に、2Lサイズ用とLサイズ用の写真立ては販売中ですので、このシリーズの写真立てがでそろいました。

材種はブラックウォルナットとナラの2種類です。

e0353219_19105397.jpg

2LサイズとLサイズは寸法がきっちりと決まっているので製作寸法で悩むことは無いのですが、ポストカード用は悩みました。

例えば、はがきサイズは100×148、KGサイズは102×152、A6サイズは105×148。これ以外にも若干寸法違いのポストカードが販売されています。

最終的に写真の入る裏側の内寸法は151×105にしました。ということですので、この写真立てにKGサイズのポストカードを入れたい場合は、2ミリぐらいカットしてください。

e0353219_19110555.jpg

この写真立ては自立しますが、このように傾斜させることもできます。

e0353219_19111410.jpg

自立させるときや壁掛けの場合は、このように丸棒を保管できます。







# by monomoman | 2019-03-31 18:06 | ├ 写真立て | Comments(0)

子供は神様からの預かりもの

e0353219_18445994.jpg

ケント・ギルバートさんが野田市の小学4年生、栗原心愛(みあ)さん(10)の虐待死事件で、気になる記事を書いていたので一部転載します。

野田虐待死 米なら児相、学校、教育委担当者は逮捕→有罪の可能性も

・・・途中から
日本には、「子供は親の所有物」という感覚があるので、親子の間の問題に、行政機関や警察が乗り出すことは、「余計なお世話」と考えがちだ。
 一方、米国では、親などの保護者が「子供を虐待している」、または「虐待の可能性がある」などと、第三者から学校や当局に連絡があると、日本の児童相談所に当たるCPS(児童保護サービス)という政府機関が、数日以内に介入して調査を行い、子供を保護する。
米国では「子供の福祉」を最優先に考える。逆に言えば、保護者の気持ちやメンツは考えない。
 キリスト教の価値観を基本に建国された米国では、「親と子供は完全な別人格」であり、「親とは、神様から預かった子供を立派に育てる義務を負った存在」だと考えている。
 従って、親の義務を果たさない両親から子供を取り上げ、養育権を奪うことは、米国では当然なのだ。むしろ虐待されている子供が目の前にいるのに、虐待者である親に子供を返す行為は、「保護責任者遺棄罪」に該当する犯罪だと捉えられる。
 米国の事件なら、父親の虐待を止めなかった母親だけでなく、児童相談所の担当者や責任者、学校の担任や校長、教育委員会の担当者なども警察に逮捕され、有罪になる可能性がある。自分に課せられた職責を十分果たさず、その怠慢が重大な結果を招いたからだ。
 日本は不作為による犯罪への認識が甘い。永田町と霞が関は、その点も考慮して法改正を考えないと、今後も似たような事件が起きるだろう。

この記事で、以前に書いた記事を思い出しましたので再投稿します。題は「七五三さんの意味の大切さ」。

日本でも米国と同じく、戦前は当たり前のように「親とは、神様から預かった子供を立派に育てる義務を負った存在」だと考えていたと思います。
何でもかんでも「戦前否定」は止めて、良いことは復活しなくては。

e0353219_21355483.jpg


日本神道の「七五三」の儀式は非常に大切な意味を持っています。ですから、古来より、連綿と続いているのですね。
以下はネットで調べた一般的な、現代風の意味合いです。

(転載文)
三歳で言葉を理解するようになり、五歳で知恵づき、七歳で乳歯が生え代わるなど、発育してゆく上で病気にもなりやすく、様々な危険を伴う時期なので、健やかな成長を氏神様にお祈りをする。現代的に言えば、子供を思うご両親の愛情表現の行事という意味合いが強くなっています。

基本的な部分で、ちょっと違います。神社は祈願する場所ではありません。

次に明治神宮のホームページより、七五三の由来について。

(転載文)
三歳、五歳、七歳と成長の節目に近くの神社に参拝して、無事成長したことを感謝し、これからの将来の幸福と長寿をお祈りするのが七五三の行事。もともとは、宮中や公家の行事でしたが一般的にも広く行われるようになりました。現在よりも医学が発達していなかった昔は生命もはかなく、七歳までの子供は神の子とされ、七歳になって初めて社会の一員として認められたそうです。

神社参拝の基本は感謝です。太字の部分が大切なポイントです。そこの処を、もう少し詳しく。

誰から生まれても、子供は七歳になるまでは神の子であります。そして、その子を産んだ親は、神様の子の養育者でしかありません。

なので、子供が三歳になった時と五歳になった時に、近くの神社(神様)に育児の途中報告に詣でます。

しっかりと育児をして、りっぱに七歳になった時に、産んだ親は「子供の引き取り」の許可を得るために神社(神様)に詣でます。

以上が諸説ある中で、個人的にしっくりする七五三の意味合いです。

昭和の前期(私が神様の子供の頃)ぐらいまでは、このような意味合いを日本人の意識(価値観)に残っていたように思います。

当時は子供が目に余る悪さをすると、近所の大人は平気で、他人の子供を叱りつけていました(場合によっては拳骨も)。
今、そんな事になると事件です。「叱りつけられた子供の親」と「叱りつけた大人」が最悪、警察沙汰になる可能性もあります。
でも、当時は、「叱りつけられた子供の親」は「叱りつけた大人」に対して、お礼を言ったものです。
「わが子がご迷惑をかけ申し訳ありません。わが子を躾けていただいてありがとうございました」と。


要は、神様の子供なのだから、近所の大人達が皆で未熟な子供を躾けて、早く一人前の社会人に育てる。と言う考えです。

もし、現代の日本の社会に、このような考えがほんの少しでも残っていたら、馬鹿な親による子供の虐待死がかなり防げると思います。

なんたって、子供は親の所有物・・・と言う価値観ではないのですから、未然に馬鹿な親から、子供を保護する(社会が放置しない)風潮も生まれてくるような気がします。

このような風習(日本神道)を全否定したのが、戦後の日教組による個人主義教育です。道徳教育も反対する「子供の天敵、日教組」の罪は重いです。

本日の一曲

「Jo Stafford / September in the Rain 」です。



# by monomoman | 2019-02-21 17:45 | 教育/思想